2021年01月23日

日本の食糧自給率のカラクリ?

日本の自給率はカロリーベースで38%(令和元年度)です。


カロリーベースとは、国民に供給される食料のカロリー量に対する国内生産の割合を示す指標です。

これだと、カロリーの低い野菜や果物をいくら作っても自給率はほとんど向上しないので、おかしいという人がたくさんいます。


自給率を表す数字には生産額ベースと言うものもあります。国民に供給される食糧の生産額に対する国内生産の割合を示す指標です。

こちらは66%とググっと上がります。


私たちが一般に耳にするのは、カロリーベース自給率の38%です。

このカロリーベースの計算を採用している国は少ないようです。


なぜカロリーベースが主流になっているのかについて、以下のような見方があります。


「日本の自給率はこんなに低いんだぞ!日本農業に頑張ってもらわなくちゃいけないのだ。だから金よこせ!」

という論法で、農水省が予算を引き出すためにあえて低い数字を前面に押し出しているのではないかというものです。


著述家の勝間和代さん(この人の肩書を何と言ったらよいのでしょう?)も同様に批判していました。


生産額ベースが世界のスタンダードだということも、日本がカロリーベースを主体にしていることへの批判の理由です。


ただ、私はカロリーベース自給率がそれほど的外れとは思いません。仮に食料の輸入が途絶えた場合、命をつなぐにはまずカロリーが重要です。お腹がふくらまなくては戦はできません。ですからカロリーベースが重要なのです。


加えて生産額ベースには問題があります。日本は物価が高いので、たとえばある野菜の輸入品と国産品が量的に同等でも、国産品の金額の方がはるかに高くなります。量の比率が1:1でも金額は1:3、つまり自給率75%のようなことが起こってしまいます。


結局、どちらを採用しても日本の食糧生産の現状を正確に把握することは難しい。

農水省のホームページで2種類の自給率を併記しているのは妥当だと思います。


むしろカロリーベース自給率という数字が独り歩きしているのはマスメディアに問題があると思っています。

現在、多くのマスメディアは国内農業に同情的で、「国産守るべし!」という論調になっています。自給率の低さを盾に農業保護を訴える論法は、政府の側からではなく、マスメディアから発信されているものではないでしょうか。

加えて読者・視聴者は常に刺激的な数字を求めるものです。生産額ベース自給率の66%という中途半端な数字より、下落を続けて40%を切っている数字の方がインパクトは強い。だからカロリーベースなのではないかと思います。


カロリーベース自給率を批判していたある大学教授は「和牛」と「国産牛」の区別もついていませんでした。

自分の専門分野では理論明晰な人が、農業問題になるととたんに目が曇る事例をたくさん見てきました。巷でよく見られる農政批判がはたして正しいのか、疑ってかかる習慣が必要だと思います。



posted by 農天気 at 18:38| Comment(0) | よもやま話

2021年01月16日

人材の確保は大変

信濃毎日新聞で外国からの技能実習生にスポットをあてた特集が組まれています。

(この新聞、全体としては左に偏っていて読むに堪えない記事も多いのですが、ときどき骨太の特集があります。)


「技能実習生」と言えば聞こえはいいですが、実際には単なる「出稼ぎ労働者」であることは現場の人間はみんな知っています。特定の技能を身につけて帰り、母国の発展に寄与するという本来の目的とは程遠い運用状況です。


日本は移民・難民の受け入れに消極的ですが、国内で働く外国人は決して少なくありません。「移民」を公に受けれると面倒が増えるからイヤだけど、「安い労働力」は欲しい。

だから技能実習生という形で受け入れています。


農業の生産現場でも技能実習生に依存している地域は少なくありません。

長野県の川上村や南牧村は全国一のレタス産地ですが、労働集約型で広大な面積を耕作するこれらの地域ではアルバイトに頼らなくてはやっていけません。


かつては学生も含め日本の若者が汗を流していたのですが、だんだん数が減少。

生産者に言わせれば「今の若者は根性がなくて続かない」。

中国からの実習生も、同国の経済発展に伴って「贅沢に慣れて」、あまり熱心に働くなったそうです。

現在はベトナムやフィリピンの人が多いようです。


私は以前、高原野菜の生産現場で研修をしていたことがあり、その中で川上村にも「派遣」されました。2週間ほど滞在してレタスや白菜の作業をしました。


朝はもっとも早い時期で3時から畑に出たと思います。たしかに大変ではありましたが、充実感もあり、それなりに楽しく過ごしていました。


この仕事、日当がそれほど高いわけではありませんが、3食住居付きで遊ぶ場所もあまりないので、けっこうお金はたまります。


このご時世、ありがたい職場だと思いますが、それでも人の確保は大変だそうです。

ある高原野菜農家では、あるシーズンに応募してきた15人の日本人のうち、期間の最後まで続けたのは一人だけだったそうです。


「大自然の中で伸び伸び働ける仕事」という無邪気な思い込みと実際の作業や生活のギャップはいつの時代もありますが、それにしても日本人の労働観の変化はやはり大きいようです。


かくして外国人労働者に頼らざるを得ない状況が生まれているのですが、人材を斡旋する業者に払う手数料がバカにならない上に、価値観の違いなどもあり、お互いが満足する関係を築くのはとても難しいのかもしれません。

posted by 農天気 at 18:00| Comment(0) | よもやま話

2021年01月09日

りんごはブランド化できるか


我が町の農産物をブランド化したいという声を聞くことがあります。


ただ、何をもって「ブランド」と呼ぶのか、という定義が不明確な場合が多いようです。


「うらちのりんごは旨い。食べればわかる。だから高く売れるはずなんだ。」


味の良さが充分に認知されていない=そんなに高く売れない、のは農協や行政の怠慢のせいだ、という意識が見え隠れします。

ブランド化とは、自分たちのりんごの食味を正当に評価してもらうことで、それ以外の努力が必要とはあまり考えていないようです。


それ以外の努力とは、

・品質(外見も含めて)の向上。

・さまざまな媒体を利用したPR

・顧客に対して品質を保証する厳しい選別

などですが、とりわけ「品質保証」についてはの意識は低いようです。


たしかにこの町のりんごはひいき目ではなく、全国でもトップクラスの食味を持っていると思います。

それでも品質のばらつきは大きく、すべてが一級品とは到底いきません。

ブランド化したいのなら、そのブランドを冠したりんごは基準をクリアーした一級品のみに絞り、それ以外の等級のりんごはブランドとは切り離した販売をするべきですが、そういう割り切りは難しい。


以前、わけあって農協からシナノゴールドの規格外品(いわゆる家庭用)を大量に仕入れたことがありました。

コンテナ買いして、その後で仕分けしなおしたのですが、その内の2割は上等のりんごで、「これが規格外ってもったいなくない?」というもの。

5割は可もなく不可もなくというもの。

そして残り3割ははっきり言ってクズみたいなりんごなんです。

未熟・着色不良・病斑・傷・過度のサビ等、「よくこれを恥ずかしげもなく出荷できるな」という代物たちです。

もちろん「目揃え会」と呼ばれる出荷基準を共有する集まりは毎度開かれていますが、まったく頭に入れていないのか、故意に無視しているのか、基準がむちゃくちゃになっている人がたくさんいます。


ブランド化を目指すなら、この下位3割は少なくとも切り捨てるべきですが、それは難しいでしょう。そういうりんごを出す人に限って文句は多いんですね。


果実をブランド化している産地をみると、ほとんどは一定の基準を満たした果実のみブランド名を冠して販売して、それ以外と切り離しているようです。。果樹は品質の均一化が難しいので、これが現実的な方法でしょう。


しかし先に述べたように、基準による振り分けを農家による個選(個別選果)に頼るのは絶対と言っていいほどムリです。やるとしたら農協が一元集荷して、その中から優良品を抜き出すしかないでしょう。

そうすればよいりんごを出荷した生産者は単価が高くなるので、モチベーションも上がるし、下位生産者も引っ張られる形で全体のレベルの底上げが期待されます。


ただ、この町では農協を通さない直販(その中でも直接顧客に販売)が非常に盛んなので、農協には十分な量の優良品が集まらない現状があり、ブランド作りはこの点でも難しいと言えます。

posted by 農天気 at 17:00| Comment(0) | よもやま話